大分大学医学部小児科学講座

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医局員紹介

新入医局員、大分大学医学部附属病院、専攻医
首藤 万里恵 Marie Shuto 長崎県出身 大分大学、平成31年卒
 

患者だけでなく家族も、そして体だけでなく心も救える医師になりたくて医学部へ。

思い返してみれば、小さな頃の自分からは予想だにしていない人生を歩んでいる気がします。
長崎県に生まれ、高校生まで地元で過ごしてきました。そこそこ青春して、そこそこ真面目に勉強して、高校3年生で進路を考える際に悩んでしまいました。

国語が好き、音楽、写真が好き。でも生業として選ぶほど好きなのか。大学に進学して何を学びたいのか。自分はどういう大人になりたいのか。
理想の大人像を描いたときに、家族の顔、恩師の顔と共に、浮かんだのは2人のお医者さんの顔でした。一人はかかりつけの小児科のおじいちゃん先生で、当時小学校2年生で学校に不信感があり、登校拒否のため「おなかが痛い」と仮病で受診した時に「無理して学校に行かなくてもいいよ。学ぶところはたくさんある。」と言われました。目から鱗でした。きっと先生は本当に学校に行かなくてもいいと勧めていたわけでなく、私の心を軽くするために言ってくれたのだろうなと思います。おかげで抱えていたものがすっと落ち、家族の支えもあり気づいたら普段通り登校していました。もう一人は家族の主治医で「本人はもちろん、家族のあなたもきついはずだから、きついときはきついと言っていい。よく頑張ったね。」と言われたことが当時高校生の私にとっては救いでした。

家族を大事にできる大人、学校や家庭で悩むこどもに何か教えられる大人、患者だけでなく家族も、そして体だけでなく心も救える医師、そういう人に私はなりたい。と一念発起し、当初全く想定していなかった医学部を志し、縁あって大分大学に進学しました。

先生方の「この子たちのために」という熱い背中を見て、憧れと理想の医師像を感じました。

小児科に興味を抱いたのは、大学5年生の臨床実習で担当した患者さん・ご家族との出会いがきっかけでした。
実習期間を終えても、病院でお会いする度に、治療を頑張って続けている姿、共に闘うご家族のお話を聞いて、何か少しでも自分も力になりたいなと感じていました。
とはいえ、小児科医になるのは自分にとってハードルが高く、大学卒業後も小児科医になるとは思ってもみませんでした。
転機となったのは初期臨床研修で2か月間小児科研修を行ったことでした。自分なりに病気を理解して、入院治療を頑張る患者さんたち、こどもの前では明るく励ましながらもたくさん悩みを抱え共に闘うご家族の姿に胸を打たれました。また、ある先生が患者さんとお母さんに治療について説明する際に、「今までお母さんとたくさん頑張ってきたと思うんだけど、これからは先生たちもその中に混ぜてもらって、一緒に頑張ってもいいかな。」と患者さんに向き合っていた姿が印象的でした。このようなエピソードを初めとして、小児科の先生方の「この子たちのために」という熱い背中を見て、憧れと理想の医師像を感じました。
果たして自分に小児科医は務まるのか、ハードルを越えられるのか。時間をかけたくさん悩んだ末、険しい医学の道に進んだ以上、頑張るのならこどもたちのために頑張りたいという思いが強くなり、小児科医になる決心をいたしました。

こどもたちが明るく健やかに育つ未来のため、日々精進していきたい。

まさか自分が医学の道に進むなんて、ましてや大分で小児科医になるなんて、小さな頃の私は思いもしませんでした。しかし、選んで良かったなと思える人生になると不思議と確信しています。
小児科医になってまだ日は浅いですが、こどもたちが明るく健やかに育つ未来のため、日々精進していきたいと思います。患者さん、ご家族からいただいた「先生、好き!」「先生が小児科になってくれて嬉しいです。」などのお言葉やお手紙が、今の私を支えてくれています。こどもたちの笑顔に頑張るパワーをいただいている日々です。

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