大分大学医学部小児科学講座

私が小児科医になった理由

研修医 後藤 洋徳

後藤先生はなぜ「医師」という職業を
目指そうと思われたんですか?

子どもの頃の話になるんですが、当時は本気でプロサッカー選手になりたいと夢を
持っていた時期もあったんです。

ですが、中学1年生の時に、母が重たい病気にかかってしまいまして。
その際、母は結果的に薬を使って良くなったんですが、そのときに純粋に「医学」
ってすごいなと思ったのがキッカケですね。
卒業前の進路を決める際に、興味を持った医学の道に進もうと決めました。

「医師」という職業の中でも「小児科医」を選択されたのはキッカケがあったんですか?

もともとは私自身がスポーツをしていたこともあって、整形外科医という道もいいかなと思っていた時期があったんですが、
小児科医という道を選択したのは、実習の際に担当したあるお子さんとの出会いがキッカケです。
その子は血液の重い病気を患っていたんですが、移植治療をしてやっと生着が確認されたときに担当をさせてもらったんです。
はじめのうちはなかなかとっつきにくい部分もあったりであまりうちとけられなかったんですが…次第に仲良くなって。

その後実習が終わり、半年くらい経ってその子に会いに遊びに行った際に、亡くなられたということを聞いたんです。
あまりの出来事に、何か自分の中で衝撃的な事が起こったんですよね。
なぜあんなに頑張ってた子が死なないといけないの?という思いが頭を駆け巡り、怒りにも近い感情が生まれてきました。

子どもというのは本当に尊い存在です。
ですが、その子どもたちが色々な病気や事故で非常に大変な状況に陥ってしまっている現実があります。
そんな子どもたちを、自分の手でなんとか助けてあげれればという思いが強くなって、小児科医という道を選択しました。

今は入院している子どもたちでも、元気になったら将来サッカー選手を目指したり、野球選手になったり、
ひょっとしたら私と同じ医師を目指してくれたらなと思う時もあります。

小児科医になってどのような苦労がありましたか?

一番苦労したというか、今でも悩むことが多い部分ですが「責任の重さ」ですね。
お子さんの事なのでご両親がとても心配されることが多いですし、
特に重たい病気の際はどのように子どもに伝えたらいいかと悩むことは多いです。

また、できるだけ子どもに苦痛を与えないようにと処置を考えてはいますが、
どうしても治療の中で苦痛を与えてしまうこともあります。
子どものことを思えば思うほど難しいなと感じるときも多々ありますね。

ですが、そんな中、治療が終わり家に帰って行く際に、満面の笑みだったり、
「先生ありがとう」と言ってもらえたり、
別の時に外来で話したりすると「よし!がんばろう!」と勇気をもらえますね。
子どもたちが笑顔になって元気になっていくことに、今はやりがいを感じています。

これまでで一番うれしかったエピソードを教えてください。

私が研修医として入ってまだ間もない頃だったんですが、1年半くらい一緒に治療をがんばっていた中学生の子がいたんです。

少しでもしんどい治療が楽になればという思いから、当時流行りのギャグを覚えては披露するということを繰り返してたんですけど、
全然笑ってくれなかったんです。(お母さんは気を使って笑ってくれてましたけどね 笑)
その後、別の病院に移ることになったんですが、結局最後の最後まで全く笑ってくれなかったんですよね~。

ですが後日、その子が手紙をくれて、「実は心の中では笑ってました」とメッセージをくれたこと。
それは気を使ってくれていたのかもしれないけれど、すごくうれしかったですね。